サイコロの投げ方

40代ゲイの過ゴ録

相性2

付き合う相手との関係において

身体の相性

の優先順位はどれくらいだろうか。

 

 

外見、年齢、性格、価値観…

好きなタイプを考える時に

これらの項目は簡単に上がるが

身体の相性までは特に考えてこなかった。

 

ましてや

身体から始まる関係、とか

付き合う前に相性を確かめる、

なんてのは選択肢にもなかった。

 

 

それは、

これまで自分がそれで困ったことがないからだろうし、

そもそも付き合う前のそれを望まなかったからだろう。

 

それに、

よっぼどの事情(〇〇すぎる等)じゃない限り

そうそう相性が合わないってのはないんじゃないか、

と思っているからでもある。

 

 

f:id:aleaiactaest:20181118155421j:plain

 

 

身体の相性は

相手とのコミュニケーションの一つとして

たしかに重要なポイントではある。

けれど少なくとも僕にとっては

それは後付けのものでしかない。

 

それよりも、

これまでを振り返ってみて

相手との距離感こそが大事なんだと思う。

 

 

内外面ともに好みのタイプに出会えても、

最終的に空気感が合わなければ

続けていくのは困難になる。

 

元彼とはまさにそれで別れた。

彼にとって僕の言動は物足りないものだった。

相手の求めているものと僕のそれとが合わなかった。

 

 

今の彼氏と、ここ数日連絡をとっていなかった。

これまでも似たようなことは何度かあったが

何の変化も生じていない。

 

あらためて現状を認識してみて、

お互いに無理のない関係が築けていると思う。

だから、

今の彼氏とは本当に相性がいいんだろう。

 

 

 前の「相性」の記事はこちら↓

 

aleaiactaest.hateblo.jp

 

移り変わり

季節はだいぶ秋だなと思う。

秋は生まれた季節なのもあってか

非常に過ごしやすく感じる。

 

改めて自分の歳を思うと

いつの間にか今の歳になっている感じが強い。

特に30代からはやはりサイクルが早く感じる。

 

 

気付けば今や高校生のほぼ倍。

自分が高校生の時は

同級生に一目惚れしたのが強く印象に残ってる。

 

いつから同性を意識したかは明確ではないけれど、

始まりは高校時代だろうなと思う。

 

ただ、当時は憧れの面が強くて、

その後10年くらいは戸惑いの日々だった。

 

f:id:aleaiactaest:20180929220108j:plain

 

思い返すとその10年くらいは

好みのタイプはスポーツマン系だったように思う。

ただ、単に「カッコイイ」の対象であって現実味はあまりなかった。

 

戸惑いの日々を経て

付き合うことが現実味を帯びてくると

ストライクゾーンは広がっていった。

タイプと言っても色々あるが、

見た目、特に体型は当初より好みの幅が広がった。

 

きっと今もスポーツマン系のみが条件だったならば、

彼氏との出会いはなかっただろうw

それだけ僕が求めるものが変わったということ。

 

 

一目惚れした同級生は今はどうなっているだろう。

その後の生き方の蓄積で大きく変わってくるはず。

 

小学校の時にカッコイイなと思っていた子は、

その後成人して会ったときは印象が変わっていた。

よく聞く話ではあるけれど、

キレイな思い出はそのままの方がいいのだろうと思うw

 

憧れをくれてありがとう。

そこにあるもの

今は便利な世の中だなと思う。

気になることがあればすぐに調べて

ある程度の答えは手に入れることができる。

 

ネットを泳いでいると

色んな人の生活が垣間見えるし、

SNSからは喜怒哀楽をより簡単に覗ける。

 

 

ただ、自分が手を広げていかない限りは

自分に似た傾向の情報が周りをとりまく。

 

だから、自分が知っている世界は

現実の世界のほんの一部にすぎないことが多い。

 

 

 

僕は性行為に関してフリーな主義ではないので

愛し愛される行為は彼氏以外とはしない。

 

けれどそれは比率的にいえば少ない方に該当する、

ということをいつしか知った。

 

 

多くの人が持つ欲望であって

誰がどのように行動するかは個々の自由。

 

それはわかっているけれど、

自分が少数派に感じることが

なんだかやるせなかった。

 

 

最近、そのやるせなさが少し解けた。

 

愛があるんか、

なんて問いかけるCMが最近あるけれど、

まさしくそれだ、と。

 

そこに愛があるから、

僕はその相手と愛し合いたいんであって、

単に肉体欲を満たすだけでは心は満たされない。

 

f:id:aleaiactaest:20180811231335p:plain

 

僕が見知った範囲では、

愛がなくて満たされないことに気づかず

一時の欲を満たしてはすぐに枯渇し

それを繰り返している人が多い。

 

類は友を呼ぶ、

だから、自分の周りには似た傾向の人が集まる。

 

僕の周りに関して言えば僕は少数派ではない。

すなわち愛がある人が多いということ。

 

 

普段「愛」という言葉はなかなか使わない。

ということで今日は

普段思ってても表しにくいことをここで書いてみた。

 

愛ある縁に感謝。