サイコロの投げ方

40代ゲイの過ゴ録

そこにあるもの

今は便利な世の中だなと思う。

気になることがあればすぐに調べて

ある程度の答えは手に入れることができる。

 

ネットを泳いでいると

色んな人の生活が垣間見えるし、

SNSからは喜怒哀楽をより簡単に覗ける。

 

 

ただ、自分が手を広げていかない限りは

自分に似た傾向の情報が周りをとりまく。

 

だから、自分が知っている世界は

現実の世界のほんの一部にすぎないことが多い。

 

 

 

僕は性行為に関してフリーな主義ではないので

愛し愛される行為は彼氏以外とはしない。

 

けれどそれは比率的にいえば少ない方に該当する、

ということをいつしか知った。

 

 

多くの人が持つ欲望であって

誰がどのように行動するかは個々の自由。

 

それはわかっているけれど、

自分が少数派に感じることが

なんだかやるせなかった。

 

 

最近、そのやるせなさが少し解けた。

 

愛があるんか、

なんて問いかけるCMが最近あるけれど、

まさしくそれだ、と。

 

そこに愛があるから、

僕はその相手と愛し合いたいんであって、

単に肉体欲を満たすだけでは心は満たされない。

 

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僕が見知った範囲では、

愛がなくて満たされないことに気づかず

一時の欲を満たしてはすぐに枯渇し

それを繰り返している人が多い。

 

類は友を呼ぶ、

だから、自分の周りには似た傾向の人が集まる。

 

僕の周りに関して言えば僕は少数派ではない。

すなわち愛がある人が多いということ。

 

 

普段「愛」という言葉はなかなか使わない。

ということで今日は

普段思ってても表しにくいことをここで書いてみた。

 

愛ある縁に感謝。